サンローラン(SAINT LAURENT)」の2019-20年秋冬コレクションは、80年代にメゾンのアイコンだった3人の女性へオマージュを捧げた。カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)、ビアンカ・ジャガー(Bianca Jagger)、そしてベティ・カトルー(Betty Catroux)。過去のコレクションでも何度も名前が上がってきた3人を、現在のクリエイティブ・ディレクター、アンソニー・ヴァカレロ(Anthony Vaccarello)は、まるで彼女たちのパワーを倍増させるかのようにパワフルに扱う。巨大なショルダーラインのジャケット、とても大きなリボンを飾ったドレス、フェザーで作るまん丸のドレス。特にムッシュ・サンローラン(Saint Laurent)の親友であり彼が作る服をこよなく愛したベティ・カトルーをほうふつとさせるパワーショルダージャケットが今季のイメージを決定づける。間違ってもリアルクローズとは言えないが、間違いなく「サンローラン」だ。

「サンローラン」というブランドは数多いパリブランドの中でもやはり特別な存在だ。パリのファッションは、業界関係者だけではなく一般の人たちも、今でもパリの街中にイヴ・サンローラン本人の亡霊を見続けているようなところがある。夜のパリの街角でスモーキングジャケットを着て立つ女性。手にはたばこ。ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)のあの有名な写真に見る“粋”は普遍的だ。“詫び寂”が時代を問わず日本人の思考や文化の中に根ざしているように、パリの人たちには「サンローラン」的な “粋”が、大げさに言えば生きてゆくために大切なのだと思う。スモーキングジャケットに見る、女性性と男性性の両性を持つ官能的な強さは、この先も人々の心をとらえるだろう。

だから、「サンローラン」の服は、服それだけではなく、着る人を含めてスタイルが成立する。前出の3人のようにミューズを立て、ショー会場には「サンローラン」の粋を体現するセレブリティーを大勢招くのも彼らのルックスや立ち振る舞いを含めて「サンローラン」というブランドが成立するからだ。ビアンカとドヌーヴは今季もショー会場に姿を見せた。

冒頭のジャケットの肩のラインは80年代のものよりずっと大きくインパクトがあり、パワフル。中には制作に100時間をかけたテーラードもある。巨大なリボンが肩から飛び出すアート作品のようなドレスも登場し、ヴァカレロが得意の造形に心血を注いでいるかがわかる。レッドカーペット映えする衣装のような存在だが、コマーシャルピースが別に用意されている以上、ショーではヴァカレロなりに現代の“粋”を突き詰めて振り切ったエキセントリックな「サンローラン」でよいのだと思う。「サンローラン」は現在、ショー形式でのオートクチュールの発表は行なっていないが、クチュールビジネスはドレスとテーラードの両方を継続しており、ムッシュ・サンローラン時代からの職人たちとの関係性も維持している。だからこそ実現するカタチであることも重要なポイントだ。

えぐるような胸元のカッティングが象徴するように、カットとパターンという自分の強みを生かして、粛々と「サンローラン」であり続けようとするヴァカレロの姿勢は、デビュー以来変わらない。エディ・スリマン(Hedi Slimane)が「セリーヌ(CELINE)」に就任し、先シーズンは古巣である「サンローラン」“そのママ”なコレクションを発表したことで、顧客からみればここ数カ月は明らかに混乱する状況に陥っていた。しかし、今季の「セリーヌ」はメゾンの1970年代のアーカイブから着想を得た内容へシフトしたため、ウィメンズにおいては両ブランドの違いは明快になった。課題はメンズ。「サンローラン」のメンズは、言わばエディが作り上げたものだけに複雑だが、ウィメンズ以上にヴァカレロの試練が大きいのは間違いないだろう。

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